January 07, 2012

構想「SmoothVamps2012 "3+1"」

3+1
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

大震災のことでいっぱいだった2011年が過ぎ、公私共々もうちょっと落ち着いていく2012年にしたいと思います。追われるより、追いたいですね。

さて、昨年9月に行ったSmoothVamps2011のプチツアーですが、無事成功裡に終わりまして、実り多いライブとなりました。メンバーにも恵まれ、アレやりたいコレやりたいといっぱい出てきました。が、私自身で咀嚼するのに時間がかかりました。
で、発表します。今年は何回実践が(ライブが)できるか分かりませんし、どこでできるかも分かりませんが、今年のテーマは「3+1」です。
メンバーは未定ですが、サックスをフロントにしたカルテット編成は崩さないでいきます。そして、4人の演奏中の関係性にちょっと仕掛けをしたいと考えています。
詳しいことは、またこのブログで発信していきます。
それでは、頑張りますので今年もよろしくお願いいたします。

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September 18, 2011

いわてJAZZ2011に行ってきました

昨日、いわてJAZZ2011に行ってきました。
●”いわてJAZZ”2011スペシャルバンド
ソロコンテストの引率・伴奏を終え、北上の行きつけのメガネ屋さんでレンズを変えた後、高速を(法定速度で)すっとばし、なんとか3曲目から見ることができました。
メンバーのほとんどは、大船渡のビッグバンド「大船渡サンドパイパースオーケストラ」からで、被災もものともせず、明るいサウンドでした。1、2曲目のドラムのしゅんぴ君はSmoothVamps2011のドラマーでもあり、彼の雄志が見られずほんとーに残念!
●寺井尚子
中学生のころからずっとファンだった、ジャズヴァイオリニストの寺井尚子さんを始めて生で見ることとなりました。東京JAZZの映像等でパワフルなパフォーマンスは知っていましたが…いやー、すごかった。そしてホールでのコンサートであることと、客層を良く理解してプログラミングしてくれました。バンドも良くコミュニケーションが取れていてインタープレイもたくさんありました。
●松居慶子
続いてSmoothJazzの女王松居慶子。いや、ケイコマツイ。Smooth系の局でいっつも聴くあっちでは大人気の人です。バンドでは安定感と実験的な音とのバランスが良く定評がありますが、ソロピアノではちょっと冗長している感じ。好きな人は好きだと思いますが、日本でいう「ヒーリング」的な音に終止してしまったのがちょっともったいない。リズムマシンとか、サンプラーとか使って工夫を凝らして欲しかったです。ネイティブなイングリッシュスピーカーだということが分かりました。
●Bob James
遂に生で出会えました!ソロピアノ、ということでちょっと警戒していました。が、やはりボブジェームスだった!フォープレイの時や、ソロ活動のバンドの時の音しか知らなかったのですが、まず何ってピアノがうまい。超うまい。それから、(これはチックコリアの時にも感じたのですが)インプロヴィぜーションやアレンジのヒラメキが半端無い。そして、色んなスタイルを持っているけど、最終的に俯瞰すると「ボブジェームスの音楽」になっている。すごい。めちゃくちゃすごい。かなり良かったですよ。Smooth系の曲はあんまりやらないのかなー、っつーかソロじゃできないよなー、って思ってたら、最後の最後に私の大好物の「Restoration」をやってくれました!!感涙!!!前はFM-IWATEの「朝のペパーミントタイム」のニュースだったか天気情報だったかでかかってた曲です。いやー、すばらしかった。
●松居&Bob
連弾で、しかも譜面に沿って…というところだったので、ちょっと頭を休める感じ。時間的にも、疲れ的にもちょっと厳しかった。寺井尚子を渇望しました。
●まとめ
最後はスペシャルバンドと寺井、松居、ボブ勢揃いで、ボブジェームスの新曲を。これはもう文句なしに素晴らしくて、しかもやっぱり震災のことを考えてしまうと感無量。ま、松井慶子とボブジェームスの二人はパッケージになっているだろうし、こういう順番しかできないのも理解できるんですが、寺井サマとボブのソロがやはり秀逸。単品でも盛岡来てくれないかな…。
そんなこんなで、実り多いいわてJAZZでした。混ざってた人々!うらやましいぞ!!!今度は声かけてほしぃ。

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August 15, 2011

ライブやります!!

昨年度までお世話になっていた、岩泉の中学校へ訪問演奏へ行ってきます!
で、その日に宮古まで足を伸ばして、カントリーズカフェでライブやります!
SmoothVamps,Takafumi Kakizaki"K&M"合同ツアー
2011 9/23(fri) 18:00start
出演
SmoothVamps 2011
柿崎倫史
荒関忠之
三ケ田伸也
多田俊輔

Takafumi Kakizaki"K&M"
vo.Saya
fl.Aya Kimizuka
sx.Hiroki Terui
tp.Sonoka Sasa
gt.Funky Sasaki
pf.Misuzu Izumiyama
bs.Daisaku Endo
perc.Nami Saito
perc.Wakana Takahashi
dr.Takafumi Kakizaki

入場無料!


弟のバンドと合同ツアーです。
今から準備に追われていますが、当日は良いカンジになりそうですよ!

お近くの方は是非いらしてください!

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July 19, 2011

東日本大震災 その時(3/13) - Part 2

3月13日午後。前日から宮古に入った私は、祖父母の安否を確認に行くことになりました。
クルーは義理の弟君と私。その当時は田老の被害がもの凄いことになっているという情報はあまり入ってきていませんでした。テレビ・ラジオでは「壊滅状態」と報じられていましたが、堤防もありますし、何度も訓練していた様子も知っていましたから、町がどうあれ祖父母は逃げているだろうと踏んでいました。つまり、私の認識では「逃げれば助かる津波」だと思っていたのです。今考えると驚きですが。高浜地区が意外にも家が残っていたことも油断した一つの要因です。
田老は柿崎一族が住まう土地。
ここでも国道45号線は通れないことが予想されたので、宮園団地の奥から箱石、佐羽根を通る山道を行く作戦。

グネグネの道を通り、途中かなりの悪路もありましたが、無事佐羽根から田老の水産加工団地付近に着きました。しかし防災無線で、田老の町には津波の恐れがありまだ入れないとのこと。その場に居合わせた覇気溢れる勇者的な男性と、魔法使い的な老人とパーティを組みました。四人で協議の結果、来た道をちょっと戻り、小田代温泉方面から宮古北高校までとりあえず行くことに。妄想の設定ですが私は僧侶。北高まで行けば何かしら情報はつかめるであろうということです。
来た道を引き返し、またちょっとグネグネ道です。無事宮古北高につきました。
宮古北高は避難所になっており、さまざまな人でごったがえしていました。高校生が高校の先生であろう人の指示で色々動いていました。こんな時は教職員は実動部隊にならざるを得ないのですね。ここで、田老の避難者リストを見ることができました。おばあちゃん以外の一族の名前を確認。おじいちゃんの名前を見つけ喜んだのですが、しかし、おばあちゃんの名前は何度探してもありません。混乱しているようだったので、リストも完璧ではないはず。把握されていない避難者もいるはず、と自分に言い聞かせました。
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津波の危険のため、しばらく北高で足止めでしたが、意を決して三鉄の線路まで行きました。道路は通れないので、みんな張ってあるロープをつたって線路まで上がり、町の中に向かっていました。
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避難者名簿によるとおじいちゃん達がいるのは田老総合事務所(旧役場)。線路から民家に伝って寺→墓→事務所のルート。すぐ下までガレキの山です。
避難所に入ると、ここでも人がたくさん。そこで、医療チームの後ろに見慣れた頭が。おじいちゃん発見です!
津波の時は肺炎で病院に入院していて、避難は看護婦さんの誘導でしたので助かったとのこと。「おれが家に寄って、声かければ母やんも助かったのに…」とひたすら自分を責めます。泣いていました。初めて見たかもしれません。私としてはまずはおじいちゃんが生きていて嬉しかった。
「これからしばらく盛岡に住めばいいよ。明日また来るから!もうちょっと頑張ってね」と言い残し、暗くなりかけだったので避難所を後にしました。避難所を出ようとした時に田老診療所の黒田先生に「カズアキさん(祖父)は早くつれてかえってくれれば助かります。家が気になるようで、夜に外に出ています。」とのこと。まだまだ若いと思って動いちゃうんですね。 ハタから見たら老人の深夜徘徊です。おそらく、一族全員近いうちに盛岡につれていきます、お手数おかけしてすみません、と伝えました。
帰りも線路を歩いて車へ。もうかなり暗くなってきていました。
おばあちゃん、やっぱり流されてしまったんだろうか。頭のなかはそのことばかり。

車まで戻ったら国道45号線は普通に通れるんじゃないか?と義弟と話しになり、ものは試しと45号線に突入したら、通れた(笑)あの行ったりきたりはなんだったんだ(笑)
途中で、ヒッチハイクをしていた田老のガソリンスタンドの店員のおじさんを崎山まで乗せました。「無事なタンクがあったら少しでも燃料必要だろうから店の片付けを…」偉いなぁ。「頑張りましょう!!」と行って別れました。
その後、昨年まで臨時教員をしていた崎山中に。職員、生徒とも全員無事。本当に良かった。高台ですからね。親しかった事務君も元気で、ホッとしました。なんにせよ、水が出ないのが大変だそうです。明日水を持って崎山に行くことが決定。
それから義弟の知人を探しに磯鶏小と宮古商業を回りました。磯鶏小では空振り。宮古商業でビンゴ!義弟は大変うれしがっていました。こんな時だからこそ、無事が嬉しいですよね。
行きつけだったラーメン屋「宝介」が反対車線に移動してしまっているのを「うわー」と見ていたら、なぜか道路にアルマジロの模型が!!義弟は急ハンドル!!悪質ないたずら!?とも思いましたが、あれには笑った!!「ぜってーわざとっすよ!!!」「だよねー!!!!」と騒ぎながら帰路についたのでした。

帰ってから盛岡の実家に連絡し、やはり一族は盛岡に置く方向で。宮古の関係各位には連絡のしようがないけど、避難所にいるよりはなんぼも良いだろうということ。

体はどっしりと重く、頭はショックと興奮でぐちゃぐちゃです。
怒濤の震災三日目はこのように過ぎたのでした。

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July 10, 2011

東日本大震災 その時(3/13) - Part 1

この日は義弟のご両親の安否確認に行きました。
45号線は通れないので、宮古市八木沢の奥から金浜地区の裏まで車で行って、そこから高浜地区まで山越えをする、という作戦。水やらオニギリやらをリュックに詰めて、義理の弟君といざ突撃です。
金浜の裏に着いたのが8時ごろ。あのあたりは高台なので無事な家がちらほらありました。が、歩くにつれて金浜地区の被害の甚大さが目に入りました。本当に信じられない光景。 web

弟くんは「うわー…」と言葉を失っていました。彼にとっては小さい頃から親しんだ地区です。すれ違う人たちも知り合いがチラホラいたみたいです。
被災の現場はテレビ伝わらない部分が多いです。アブラと潮の混ざった濁った匂い。泥まみれのぬいぐるみや生活用品など一つ一つに人の影が見て取れます。きついです。
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集落の左端から山に入り、まずはちょっと山越え。それから高浜小学校付近に出ました。福祉センターが避難所になっており、弟君は何人かの同級生と無事である喜びを分かち合っていました。

小学校の裏からいよいよ山越え。途中で道を見失い竹やぶに捕まったりしましたが、なんとか高浜地区に到着。目印であるお墓にたどり着いた時は二人で歓声を上げましたよ。大変だった!弟君は自分の家のお墓に手を合わせました。しかし、こういう時に体力って必要ですね。自分の体力の無さで弟くんの足を何度も止めてしまいました。無念。

さて、高浜地区は残っている家屋があるものの、やはり大変な被害です。
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まずは高台にある彼のおじいさんの家に行きました。そこにいると思ったのですが、ご両親は下の方にある家の掃除をしているとのこと。さっそく行ってみると、泥を掻き出す作業をしていました。弟くんはほっとして思わず涙。まずは本当に良かった。

彼の家は無事残っていて、それでも中は泥まみれ。この泥がくせもので、油やら海水やら汚水やら混ざっていてかなり大変なんです。一階部分は家電なども使えない状態なのですが、二階部分は使えるとのこと。たくましい!。
畳をあげたりとお手伝いして、おじいさんの家でごはんを食べて帰りました。帰りに判明したのは、徒歩でなら45号線が通れたこと(笑)山越えする必要無かった…。
堤防を歩きながら海岸の被害を見ていきました。やはりひどい。
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金浜まで行き、ちょっと山を歩き、車に着きました。
一度妻の実家まで戻り、さらに腹ごしらえ。この時点で午後2時ぐらいだったので、午後は私の祖父母の家がある田老に行くことになりました。
長くなるので、Part2に続きます。

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